久しぶりに映画館へ!

 相棒が「こちらへは来ないんかなぁ~」と、言っていましたが・・


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 現在上映中の、松山市内の映画館へ行きました。この作品をwebで検索すると、『映画.com』には以下の解説文が載っていました。

『長田新編「原爆の子」より、「雲ながるる果てに」の八木保太郎の書卸したシナリオの映画化で、日教組プロの製作になる。「混血児」の関川秀雄が監督し、「村八分」の宮島義勇が撮影している。音楽は、「玄海の鰐」の伊福部昭。出演者は「死の追跡」の岡田英次、神田隆、「旅路(1953)」の月丘夢路、「雲ながるる果てに」の山田五十鈴のほかに、河原崎しづ江、町田いさ子等前進座、東京映画俳優協会、劇団虹の橋等から多数出演している。』



 この映画が作られたのが1953年だと知り、驚きました。先の太平洋戦争の敗戦後、連合国との平和条約が発効したのは1952年です。もっとも、近隣諸国との間でも未だに平和条約を結べないままの国もありますが・・・。そして、未だに日本政府は核無き世界を目指せない中、凡そ65年以上も前にこんな映画を作られていたのですね。以下に『あらすじ』などを挟みながら、紹介します。


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 以下に、上記『映画.com』に書かれている“あらすじ”を引用しました。

『広島A高校三年、北川の担任するクラスで原爆当時のラジオ物語を聞いていた大庭みち子は、突然恐怖に失心した。原爆の白血病によって前から身体の変調を来していたのだ。クラスの三分の一を占める被爆者達にとって、忘れる事の出来ない息づまる様な思い出だった。それなのに今広島では、平和記念館の影は薄れ、街々に軍艦マーチは高鳴っている。あの日みち子の姉の町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始め級の女学生達と一緒にやられたのだ。みち子は爆風で吹き飛ばされた。弟の明男も黒焦げになった。今はぐれてしまった遠藤幸夫の父秀雄は、妻よし子が梁の下敷で焼死ぬのをどうする事も出来なかった。陸軍病院に収容された負傷者には手当の施しようもなく狂人は続出し、死体は黒山の如くそこここに転りさながら生き地獄だった。しかし軍部は仁科博士らの進言を認めようとせず、ひたすら聖戦完遂を煽るのだった。その戦争も終ったが、悲惨な被爆者にとって今更降伏が何になるのか。広島には七十年間生物は住めないと云う。病院の庭に蒔かれた大根の芽が出るまでは、人々はそれを信ぜずにはいられなかった。疎開先から引き返してきた幸夫と洋子の兄妹は、病院の父に会いにいったが、そのひどい形相にどうしても父と思う事が出来なかった。父は死に広島には七回目の八月六日が廻ってきたのに、幸夫はその間浮浪児収容所、伯父の家と転々して次第に荒んでゆき、遂には浮浪児を使って掘り出した死体の頭骸骨を、原爆の記念に米人に売ろうとさえした。みち子は河野達級友に見守られながら死んだ。北川に連れられて警察を出てきた幸夫を、今また河野達は「明日は僕らの手で」の合唱で元気づけるのだった。』



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 小生がこのような画を初めて目の当たりにしたのは『はだしのゲン』だっただろうと思います。そして、この映画がNHKで放映されたと知ったのは、映画館で観た後のことでした.



 ここでは敢えて小生の感想などは述べません。


 尚、松山市の シネマルナティックにて、10月10日(木)まで上映中。
    ~3日(木)    10:00~
     4日(金)~   10:00~ 、18:25~




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